「流祖、千葉周作の秘密に迫る。」

千葉一族の墓に詣でる

千葉一族の墓に詣でる

斗瑩(とけい)での周作

宮城県大崎市荒谷字斗瑩29番地にある斗瑩山光明寺には、千葉一族の墓があり、隣にある斗瑩神社は、千葉周作の生い立ちの地となっている。

以前は神仏混淆(こんこう:一緒に祀る日本の風習)で同じ境内だったのだが、明治の神仏分離令で、現在では境内が分かれている。

周作親子は、気仙沼市の生まれで周作が5歳の頃に、この地に移り住んだ。何故二人だけで、移って来たのか、調べても理由は出てこない。

有名人の過去が分からないということは、意識的に消していることで、知られたくない過去があったためと、光明寺住職伊藤守弘氏はいう。

伊藤氏の話では、千葉周作は、父と二人で、ここに住んで、近くに住む千葉吉之蒸から、北辰夢想流を学んだ。

寺の過去帳から分かったことだが、吉之丞の子は幸右衛門、孫は周作(斗瑩の周作)という名で、歳は流祖周作より10歳ほど上だ。

また、流祖周作の父の名は、忠左衛門と幸右衛門の2つ説がある。流祖周作父子は、10数年間、北辰夢想流を学んだのち、千葉県松戸市へ父と移った。

伊藤住職の話を聞く

光明寺へ歴史家山口氏と

伊藤住職の話を聞く

伊藤住職の話を聞く

斗瑩に来た理由

 流祖周作の祖父が、気仙沼で悪いことをしたので、斗瑩に逃げてきた。

 なぜ、斗瑩に逃げて来たかというと、実は伊藤氏の7代前が、気仙沼から斗瑩に来て光明寺に入ったという。丁度、流祖周作父子の来る前である。

周作たちは、行く当てもないので、その住職を頼って、寺だから広いだろうし、片隅にでも寝泊りできればと、斗瑩に逃げて来た。住職も、人の良いところがあって、父子の人柄も悪くない。で、匿(かくま)うことになった。この推測は、悪くない。

母と弟がいないのは、4人で新しく生活するのは、より困難だから、または、罪が及ばないよう離縁して、実家に帰したか。とすると、父も悪いことをしているかもしれない。

弟定吉は、後に江戸に呼ばれて、道場を開いているが、母は最後まで出てこない所を見ると、どこかで死んだと考えるのが自然だろう。

流祖の居宅跡に立つ

流祖の居宅跡に立つ

二人の周作

 さて、斗瑩の千葉家は、3代目が吉之丞、4代目が幸右衛門、5代目が周作となっている。

流祖周作は、吉之丞から北辰夢想流を習った。ここで、子供のころから剣に非凡な才能があった逸話があるが、斗瑩の周作か流祖周作か不明だ。しかし、非凡な腕前だから、恐らく、流祖周作の逸話であろう。

流祖周作は、本当に周作という名だったろうか。伊藤氏は、流祖周作父子は、逃げてきたので、江戸に出るには通行手形がない。そこで、同じ千葉性ということで、吉之丞の子と孫、千葉幸右衛門、周作親子の手形を借りて成り済まし、江戸へ出た。という。

吉之丞は、流祖周作の剣の素晴らしいことを知っているから、江戸で修行させたかったに違いない。それならば、江戸行きを奨めたのは吉之丞だったかもしれない。

忠左衛門と幸右衛門は30歳ほど離れているが、当時の年寄りは老けてみるから同じくらいに見えたろうし、斗瑩の周作と流祖周作は10歳ほど違うが、流祖周作は大きかったから大人に見えたろう。

斗瑩神社橋本宮司の話を聞く

斗瑩神社橋本宮司の話を聞く

斗瑩山神社由来

斗瑩山神社由来

流祖千葉周作は偽名だった

ところで、手形を借りて、斗瑩の周作に成り済ましたことを、もっと深く見ると、流祖周作は、幼名を於菟松(おとまつ)といった。流祖が、斗瑩に逃げてきたときは、5歳くらいだから於菟松。ではいつ、流祖は周作になったかというと、すでに斗瑩には、周作がいたのだから、斗瑩では、その名は名乗らないだろう。

とすれば、斗瑩の周作の手形を借りたときに、流祖は周作を名乗りはじめたに違いない。つまり、流祖千葉周作は、偽名をそのまま使いつづけたのだ。父も、浦山寿貞と変名があるし、気仙沼を出た原因は、父にあるかも知れない。それで、いろいろ過去を知られるとまずいので、あくまでも斗瑩の周作として通すことにしたに違いない。

北辰流または北辰夢想流

斗瑩の千葉吉之丞が、流祖に伝授した剣術は、北辰流または北辰夢想流という。どちらが正しいか。おそらく最初は、北辰流という名で、後から無想を付け足した。伝書には北辰流の名が多い。

どの様な剣か、それは、北辰一刀流「格」に秘められた内容でしか、今は知る手立てがない。流祖が学んだ一刀流中西派との形の違いが、重要なところである。

北辰の剣

北辰とは、北極星の事。北辰妙見菩薩ともいう。陰陽道では金神が位すると考え,剣先に向かって戦えば必ず敗れ,公事や勝負事に不利であるとした。しかし,それ以上、海上の方角見に重要で,その方法を〈破軍を繰る〉といい,たとえば伊予の水軍の能島家伝には〈破軍北辰の事〉に〈破軍くり様〉を示している。

  • 斗瑩は、斗は柄杓の型、瑩は輝くこと。
  • 斗瑩神社には、船の怒りが奉納されている。船乗りは北極星を神と崇めている。
  • 斗瑩神社は、北極星を神と祀っている。
  • 地方により,北斗七星を〈剣星〉〈七剣星〉〈四三剣〉などと呼んでいる。
  • 道教では、北斗九星と呼ぶ。九曜紋はここから出ている。
  • 土曜から日曜は「七曜」といい、北斗七星をいう。
  • 千葉一族の守護神は、北辰妙見菩薩。家紋は、月星九曜紋。
  • 北辰一刀流とは、絶対・唯一の剣という意味。
斗瑩神社参道

斗瑩神社参道